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ひふみんアイ [社会]

my challenger's log Ⅱ 2冊目

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 my challenger's log 一冊目は、

 こちら

 http://mwainfo.blog.so-net.ne.jp/ 

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 ひふみんアイ


 藤井四段が佐藤名人破る 次は羽生竜王と対戦
 引用記事全文
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25669010U8A110C1CR8000/

 将棋の加藤九段は、対局中、将棋盤の相手側に立ち、相手の目線で、自陣の駒組を視る。

 相手が視る局面の形成判断が、自分の判断と同じなのか、違うのかを確かめるためである。

 相手には、この局面の形成がどう映るのか、相手側に立って検証しようとする戦術である。

 読み筋は、自分と相手では違うことが多い。自分がいいと思っても、相手は一枚上の読みを持っている場合がある。相手の方が形成有利と見ている。

 囲碁でも、将棋でも、指し手は、局面の流れに乗り、勢いと気合がなければならない。自分だけの判断では、独善的な”読み抜け”の場合がある。

 ひふみんアイはこれを確かめる戦術であろうか。

 藤井四段は、このひふみんアイを取り入れた。総じて、桂馬の使い方が上手い。29連勝中の何局か、佐藤名人との本局でも桂馬が躍動した。かって、駒使いの名手として、升田の角、大山の金、中原の桂と言われた。

 幕末の剣豪たちは、生涯をかけて、剣禅一致、自然体の奥義に迫った。 

 中学生で、現役の名人に勝ち、欲や雑念を超えた自然体で指す、と言えるのは、恐るべき14歳である。

 
 とまれ、人間は、生き抜くために、太陽の光や、自然の恩恵を受け、他人が作ったものを食べて生きている。自分が立っていられるのも、他者の評価、協力が必要である。

 自分の姿は、自分では見えない。鏡に映る姿は、左右逆である。自己は常に他者ににより演釈される。

 自分が成り立つために、常に他者をいつくしみ、協力、奉仕が必要であろうか。

 慈悲の心である。

 勝負は勝たねばならないが、相手をねじ伏せるのではなく、さわやかに勝ち、勝っても、”惻隠の情”を持って相手に接し、負けるときは、潔く負けたいものである。

 剣道、柔道、棋道、そして相撲道、すべて、”道”と名の付くものは全て、この礼に基づき行われる人間の修練である。

 かって、故加藤正夫囲碁名人、本因坊は、大勝負の熾烈なタイトル戦で挑戦者にはなるが、タイトル戦、八連敗を喫し、万年二位に甘んじ、大勝負を制することが出来なかった。

 何が足りなかったのか!

 見かねた、当時の石田芳夫本因坊が、少し”遊びが足りないと言い、遊びを勧めた。2年間遊びほうけたと言われる。その結果見事、棋聖戦タイトル初奪取に成功した。

 以後、名人、本因坊、十段、棋聖、王座等々のタイトルを奪取したと言う。

 勝負の自然体、物に動じない、腰の据わった人間力を求める所以であろうか。


 一方、個人を超えて、国家の場合、独善的に国益を主張すれば、軋轢、紛争が起きる。典型は、テロである。

 シリア、イスラエル、北朝鮮等々、国際間の外交交渉には、友情は存在せず、非情な駆け引きとなるが、せめて相手に歩み寄り、理を突き抜けた着地点を見出したいものである。

 ひふみんアイ、この小さな主張が、他者や、他国の主張への協力、共存に役立てる方法は無いものだろうか。

 
YOUTUBE 佐藤名人対藤井四段 

https://youtu.be/FnQadn462a8


参考図書 慈悲の心




何故かジャズ されどジャズ  マーク コープランド


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