百花、春至って誰が為仁か開く [禅語]
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my challenger's log 一冊目は、
こちら
http://mwainfo.blog.so-net.ne.jp/
より閲覧願います。
百花誰が為にか開く。
「碧巌録」第五則の「百花為誰開」(百花、春至って誰が為にか開く)が出典。
ひたすら、無心に咲く花の姿に、ふと一体誰のために咲いているのだろうか、という想いがよぎる。
「雨ならずして花猶落つ 風無くして 絮(いと)自ずから飛ぶ」《不雨花猶落 無風絮自飛(槐安国語)》禅語である。
青柳の絮よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける 紀貴之『古今集』
雨なく、風無くして、咲く花は、散る定めを持つ。
西行法師は、謳う。
「春風の花を散らすとみる夢は さめても胸のさわぐなりけり」
辞世の句と言われる「ねがわくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」がある。
「如月の望月のころ」は旧暦で、その二月十五日は、満月の日だと言う。
芽吹きの春、桜の咲く季節である。
京都の櫻守、佐野藤右衛門さんは、「桜は、満月に向かって咲きよる」という。
藤右衛門さんは、山奥深く、人知れず咲く山桜に愛着を持つ。「人の手が入り込めない厳しい美しさを持っている」と言い、帰り際には、「来年また来るからな」と言って別れるという。
万人が知る春咲く菫を謳った名歌がある。
「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」 山部赤人、(万葉集)
自然に寄り添う本来の暮らしがある。
吉野弘さんの詩の一節、「生きていることのなつかしさ」がよぎる。
日本語で使う、かな文字四十七字全てを使った「いろは歌」がある。
「いろはにほへとちりぬるを
わかよたれそつねならむ
ういのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせず」
「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」
何故か無常感が漂う。
桜の花は、美しく咲くが、その散り際もはかない。日本人の好む、いさぎよさ、なのだろうか。
花の命は短い。人生も長いようで短い。
ほろ酔いで、ぼうっと生きないで、しっかりした大きな夢と志を持ちたい。
地に足をつけて、微笑みをもって、ゆるぎなき人生を全うしたい。
「我、事において 後悔をせず」 宮本武蔵 「独行動」より。
参考図書
何故かジャズ されどジャズ
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百花誰が為にか開く。
「碧巌録」第五則の「百花為誰開」(百花、春至って誰が為にか開く)が出典。
ひたすら、無心に咲く花の姿に、ふと一体誰のために咲いているのだろうか、という想いがよぎる。
「雨ならずして花猶落つ 風無くして 絮(いと)自ずから飛ぶ」《不雨花猶落 無風絮自飛(槐安国語)》禅語である。
青柳の絮よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける 紀貴之『古今集』
雨なく、風無くして、咲く花は、散る定めを持つ。
西行法師は、謳う。
「春風の花を散らすとみる夢は さめても胸のさわぐなりけり」
辞世の句と言われる「ねがわくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」がある。
「如月の望月のころ」は旧暦で、その二月十五日は、満月の日だと言う。
芽吹きの春、桜の咲く季節である。
京都の櫻守、佐野藤右衛門さんは、「桜は、満月に向かって咲きよる」という。
藤右衛門さんは、山奥深く、人知れず咲く山桜に愛着を持つ。「人の手が入り込めない厳しい美しさを持っている」と言い、帰り際には、「来年また来るからな」と言って別れるという。
万人が知る春咲く菫を謳った名歌がある。
「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」 山部赤人、(万葉集)
自然に寄り添う本来の暮らしがある。
吉野弘さんの詩の一節、「生きていることのなつかしさ」がよぎる。
日本語で使う、かな文字四十七字全てを使った「いろは歌」がある。
「いろはにほへとちりぬるを
わかよたれそつねならむ
ういのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせず」
「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」
何故か無常感が漂う。
桜の花は、美しく咲くが、その散り際もはかない。日本人の好む、いさぎよさ、なのだろうか。
花の命は短い。人生も長いようで短い。
ほろ酔いで、ぼうっと生きないで、しっかりした大きな夢と志を持ちたい。
地に足をつけて、微笑みをもって、ゆるぎなき人生を全うしたい。
「我、事において 後悔をせず」 宮本武蔵 「独行動」より。
参考図書
何故かジャズ されどジャズ
2019-03-24 12:01
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