SSブログ

片手で音が出るか。 [社会]

皆様方のいつも温かいご支援を感謝いたします。


 my challenger's log 一冊目は、

 こちら

 http://mwainfo.blog.so-net.ne.jp/ 

 より閲覧願います。


 隻手音声


 年を重ね、老年期になると、広角で、ものを考えることが難しくなる。思考に隙ができるのだ。

ものを見ていても、全体を見渡せず、一部分しか見ていないことが多い。


 チコちゃんに、叱られますね。「ボーッと生きてんじゃねえよ」


 例えば、「夜はなぜ暗いのか」、太陽が隠れているからではない。宇宙に果てがあるからだという。

 科学者たちが、この素朴な疑問を見逃さず、深い研究の結果、見えてきた宇宙の果てである。

 『宇宙が無限であれば、星も無限であるが、果てがあり、有限であれば、星がなく、光が届かないので暗闇になるという。

 ドイツの天文学者、オルパースが1826年に発表しました。

 今見えている星の光は、宇宙の果て、138億光年の彼方からやってきます。ところが、1929年には、アメリカの天文学者、ハップルが、宇宙は膨張し続けていることを発表しました。現在の宇宙の大きさは、470億光年だといわれています』「宇宙が教える人生の方程式、より参照」


 禅の公案に、「隻手音声」があります。

 白隠禅師の問いかけです。
  
 「両手を打つと、音が響く。しかし、片手では、どんな音がするか」。  
 
 「両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」。

 自己を捨て、物事のこだわりから、脱却しないと、この答えは、容易には見つからない。


 白隠禅師は言う。「自分、自分」と己のことで一杯になった頭では何ひとつ、見えも聞こえもするはずはなく、ただ我執を離れ、対象と一体になった時にのみ、姿を現わす不可思議な音である」という。

 頓智を利かせれば、相手が差し出した片手を、自分の片手で打てば、パチンと音が出るはず。

 これは、音が出る「両手で打つ」という先入観、知識から脱却し、こだわりを捨てることから見えてくる答えです。

 柔軟な立ち位置を持てば、ヤジロベーのごとく、揺らげどもその支点はぶれない。

「自分が、私が」、これが争いを生み、調和を乱しているのです。

「空、縁起、無常」、まさに、自己には実体はなく、常に他者と係わり合い、移ろいゆく。今日の自分は、明日の自分ではなく、ここに他者と共存して生きてゆく知恵と進歩があるのであろうか。

 いつまでも、フレッシュな興味感性とワクワク感を持ち続けたいものである。



参考図書

Happy shopping by your account











何故かジャズ されどジャズ








nice!(290) 

nice! 290

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。