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虚空よく物を容る [社会]

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 my challenger's log 一冊目は、

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 虚空よく物を容る

 徒然草、第2百35段にある言葉である。「だからこそすべての物が中に入る」

 呼吸は、吐いて吸う、である。肺が空でないと、空気は吸えない。

 同様に、頭が空でないと新しい考えは入ってこない。雑念、邪念、妄想等々が一杯だと、それ以上想念の出入りはできない。心が常に無心でないと、新鮮な発想はできない。

 禅語に「もの思わざるは、仏の稽古なり」がある。無心であることが、徳を積むことになるという教えである。

 無心とは、一つのことに、一心不乱に取り組むことである。囲碁将棋で、直観的に手が見えるのは、この無心の境地である。この直観は、90%正解だという。研鑚、経験と才能の賜物だという。

 囲碁将棋の大勝負で、秒読みの中で、繰り出す一手が勝敗を分ける。指運の一手という。

 この勝利の女神の微笑みを手にするのが、米永棋聖のよく言っていた、常日頃の、謙虚さと笑いであると言う。

 年とともに、広角で物を見られなくなる。頭や心が、過去の古びた役立たずの想念で一杯だからである。

 頭も身体も、常にフレッシュに、空にしておかないと、錆びついてくる。新鮮な空気と考えで、細胞をリセットする必要がある。

 しなやかに、柔軟に、自在に対応できるよう、心身共に空の状態にあることが、まさに「虚空よく物を容る」であろうか。


 「茶碗とは何もない部分のことである」。老子の「道徳経」の中にある言葉だと聞く。

 何もないから御飯が入る、言いえて妙です。

 囲碁、将棋や、剣道に、無心の一手があります。一心不乱に、無心で出した一手に、会心の一手があります。

 この直観とひらめきの一手は、邪念、雑念がないまっさらな境地から生まれるものです。

 勝利の女神は、謙虚さと微笑みを持った人に味方します。米永邦夫棋聖は、この「機嫌のいい人に運気が寄ってくる」と言います。


 子供のころに習った、 ドイツの詩人、ツェーザル・フライシュレン の「くちびるに歌を持て」の詩の一節を思い出す。

 勇気を失うな。

 くちびるに歌を持て。

 心に太陽をて持て。

  
 日本の薩摩には400年続く郷中教育がある。

 負けるな。

 噓を言うな。

 弱いものをいじめるな。

 コロナに負けないように、日々、しなやかに、ときめきの心をもって過ごしたいものです。




  


     

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