千里の灯火を消して見よ [社会]
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my challenger's log 一冊目は、
こちら
http://mwainfo.blog.so-net.ne.jp/
より閲覧願います。
「千里の灯火を消して見よ」
タイトルは、禅の公案である。公案の解は多々ある。
インドでは、コロナ禍が容赦なく弱者に襲い掛かる。(産経新聞)
「職を失った塗装業の男性が、命を絶った。
日々の暮らしが絶望と、自分の携帯電話を売り、2500ルピー(約3500円)を手にして、砂糖や小麦、コメのほか子供たちが酷暑でも眠れるよう、扇風機を買って妻に渡した」という。
この悲惨さ、残酷さに胸が詰まる。弱者救済は誰の責任なのか。天の不条理では済まされない。
千里の悲劇を救うことができない。吾々が無力であることが悲しい。
禅とは、「私」というこだわりを捨てることです。「私」から離れて、他者に尽くすことです。
禅の公案に、「片手の音を聞いて来い」、「片手の音はどんな音か」があります。
答えはなかなか見つかりません。両手で拍手、にこだわるからです。片手で頬をたたいてみてください。
パチンと音がします。両手で拍手、のこだわりを捨てた片手の音です。
世界が、皆、私が、俺が、と主張すれば、争いが起きます。自己を捨て、自己から離れ、他者に尽くす、これが禅の始まり、「無我」、「空一円相」の世界です。
自己の心を見つめ、無償の徳を積み、相手の立場に立ち、思いやりを持って、優しい言葉をかけ、他者のために尽くす「利他」の修行です。
公案を考えるには、深い洞察が要求されます。将棋の「読み」に通じるものがあります。
将棋、藤井2冠が勝つのは、異次元の一手を指すからだと言います。例えば、棋聖戦3局で指した31銀はAI に25手、4億手を読ませても出てこない。27手、6億手を読ませると、最善手として出てくるという。
不断の研鑽を積み、それまでの常識や定石にこだわらず、一歩深く読むから、異次元の手が見えてくるのかも知れない。
禅の公案は、禅の修行者でも、答えは容易には見つからない。
「風に色はあるか」「雨はどこから来る」「千里の灯火を消してみよ」等々、こだわりや自己を捨て、万法に則り、自由な発想を持たないと、答えは見つからない。
ギリシャの3大難問がある。正解はない。数学にも、解のない問題がある。実社会には、解のない問題が5万とある。天は公正であり、不条理でもある。
コロナの正体を、科学的に解明した、「新型コロナ」上久保靖彦著が出版された。
上久保靖彦、京大医学研究科特定教授によれば、「コロナは感染ピークが最大になれば、集団免疫が形成され、収束に向かうという。
インフルエンザワクチンの予防接種を受けると、サイトカインと言うたんぱく質が放出され、ウイルスをやっつける。インフルエンザの免疫ができると、コロナウイルスが入ってこれない」
反対に、コロナウイルスに感染した場合でもサイトカインが出て、インフルエンザが体内に入ってこれない」、と言う。
コロナは、今年12月頃には収束し、来年のオリンピックは問題なく開催できるという。
上久保靖彦教授によれば、コロナと言う見えない敵の姿が、はっきりして来た。
コロナ感染対策は、握手、ハグ、スキンシップ等々を否定してきた。それが「新しい日常」になるという。
これは恐ろしいことだ。有史以来、人間を含め、生き物は、群れの中で、体を寄せ合い、助け合って生きてきた。それができないとなれば、人間として、暖かいヒューマンな生き方ができないということになる。
しかし、上久保靖彦教授は、「マスク、三密、清潔は、ウイルスには全く関係ない」と言う。
理由は、「新型コロナ」を精読し、メカニズムを理解してほしい。感染対策をしっかりしてコロナを乗り切りたいものである。
ロビンソン・クルーソーの作者、ダニエル・デフォーが、1722年に書いた「ペストの記憶」があります。
17世紀の感染対策が、現在のコロナ感染対策の原型になっている。17世紀のウイルス感染対策の知恵を踏まえ、油断なくコロナ対策に立ち向かってほしい。
「生命か生計か」、命の優先は間違いないが、経済が疲弊すれば、生き永らえることもままならなくなる。この二律背反を乗り切らねばならない。為政者たちの力量の見せ所であろうか。
アルベール・カミュの「ペスト」では、ペストに立ち向かう、医師リューの献身的な取り組みと、街の人々への連帯感に目覚める姿が描かれていた。
人間は、ファミリーやコミュニティーにの中で、他者や隣人と群れて、自己を乗り越え、助け合う連帯が、何よりも大事なのであろうか。
参考図書詳細
ここまでわかった新型コロナ WAC文庫 上久保靖彦著
my challenger's log 一冊目は、
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「千里の灯火を消して見よ」
タイトルは、禅の公案である。公案の解は多々ある。
インドでは、コロナ禍が容赦なく弱者に襲い掛かる。(産経新聞)
「職を失った塗装業の男性が、命を絶った。
日々の暮らしが絶望と、自分の携帯電話を売り、2500ルピー(約3500円)を手にして、砂糖や小麦、コメのほか子供たちが酷暑でも眠れるよう、扇風機を買って妻に渡した」という。
この悲惨さ、残酷さに胸が詰まる。弱者救済は誰の責任なのか。天の不条理では済まされない。
千里の悲劇を救うことができない。吾々が無力であることが悲しい。
禅とは、「私」というこだわりを捨てることです。「私」から離れて、他者に尽くすことです。
禅の公案に、「片手の音を聞いて来い」、「片手の音はどんな音か」があります。
答えはなかなか見つかりません。両手で拍手、にこだわるからです。片手で頬をたたいてみてください。
パチンと音がします。両手で拍手、のこだわりを捨てた片手の音です。
世界が、皆、私が、俺が、と主張すれば、争いが起きます。自己を捨て、自己から離れ、他者に尽くす、これが禅の始まり、「無我」、「空一円相」の世界です。
自己の心を見つめ、無償の徳を積み、相手の立場に立ち、思いやりを持って、優しい言葉をかけ、他者のために尽くす「利他」の修行です。
公案を考えるには、深い洞察が要求されます。将棋の「読み」に通じるものがあります。
将棋、藤井2冠が勝つのは、異次元の一手を指すからだと言います。例えば、棋聖戦3局で指した31銀はAI に25手、4億手を読ませても出てこない。27手、6億手を読ませると、最善手として出てくるという。
不断の研鑽を積み、それまでの常識や定石にこだわらず、一歩深く読むから、異次元の手が見えてくるのかも知れない。
禅の公案は、禅の修行者でも、答えは容易には見つからない。
「風に色はあるか」「雨はどこから来る」「千里の灯火を消してみよ」等々、こだわりや自己を捨て、万法に則り、自由な発想を持たないと、答えは見つからない。
ギリシャの3大難問がある。正解はない。数学にも、解のない問題がある。実社会には、解のない問題が5万とある。天は公正であり、不条理でもある。
コロナの正体を、科学的に解明した、「新型コロナ」上久保靖彦著が出版された。
上久保靖彦、京大医学研究科特定教授によれば、「コロナは感染ピークが最大になれば、集団免疫が形成され、収束に向かうという。
インフルエンザワクチンの予防接種を受けると、サイトカインと言うたんぱく質が放出され、ウイルスをやっつける。インフルエンザの免疫ができると、コロナウイルスが入ってこれない」
反対に、コロナウイルスに感染した場合でもサイトカインが出て、インフルエンザが体内に入ってこれない」、と言う。
コロナは、今年12月頃には収束し、来年のオリンピックは問題なく開催できるという。
上久保靖彦教授によれば、コロナと言う見えない敵の姿が、はっきりして来た。
コロナ感染対策は、握手、ハグ、スキンシップ等々を否定してきた。それが「新しい日常」になるという。
これは恐ろしいことだ。有史以来、人間を含め、生き物は、群れの中で、体を寄せ合い、助け合って生きてきた。それができないとなれば、人間として、暖かいヒューマンな生き方ができないということになる。
しかし、上久保靖彦教授は、「マスク、三密、清潔は、ウイルスには全く関係ない」と言う。
理由は、「新型コロナ」を精読し、メカニズムを理解してほしい。感染対策をしっかりしてコロナを乗り切りたいものである。
ロビンソン・クルーソーの作者、ダニエル・デフォーが、1722年に書いた「ペストの記憶」があります。
17世紀の感染対策が、現在のコロナ感染対策の原型になっている。17世紀のウイルス感染対策の知恵を踏まえ、油断なくコロナ対策に立ち向かってほしい。
「生命か生計か」、命の優先は間違いないが、経済が疲弊すれば、生き永らえることもままならなくなる。この二律背反を乗り切らねばならない。為政者たちの力量の見せ所であろうか。
アルベール・カミュの「ペスト」では、ペストに立ち向かう、医師リューの献身的な取り組みと、街の人々への連帯感に目覚める姿が描かれていた。
人間は、ファミリーやコミュニティーにの中で、他者や隣人と群れて、自己を乗り越え、助け合う連帯が、何よりも大事なのであろうか。
参考図書詳細
ここまでわかった新型コロナ WAC文庫 上久保靖彦著
デフォー『ペストの記憶』 2020年9月 (100分 de 名著) [ 武田 将明 ] 価格:576円 |
アルベール・カミュ ペスト 生存をおびやかす不条理 (NHKテキスト 100分de名著 2018年6月) [ 中条省平 ] 価格:576円 |