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コロナの暗号 [社会]

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 「コロナの暗号」村上和雄著、という本がある。

 「DNAは利他的である」という。このために、人間は、貢献、連帯、奉仕等々という自己犠牲を引き受けることが出来るのであろうか。

 世界が皆、俺が、私がと主張すれば、いずれ争いや戦が起きる。

 DNAを利他的に設計したあるもの、それは、Something great、と呼ばれる。強いて言えば、「神」というのかもしれない。

 そのために、世界は共存、仲良くやっていけるのであろう。37兆個の細胞は争わず77億の人間は争い続ける。日本には古来より、利他の精神と和の文化が息づいている。

 コロナのウイルスの深刻な危機の今こそ「他者のために生きる」ことが必要である。

 協力、共存の精神を呼び戻そう。

 コロナパンデミックは、人間が、自然や動物を軽視したのが原因であり、「生きていることに感謝」、「心よりのありがとう」は遺伝子に届くという。

 自然破壊を取り戻すには、「つつしみ」が必要。人間と自然を分けて考えない。我々は自然の一部でそのおかげで生きていられるのだ。

 遺伝子は、助け合って利他的に行動している。ヒトが最も繁栄したのは、助け合う力があったからであろうか。

 「ありがとう、おかげさま、いただきます、ごちそうさま」は、遺伝子の美しさの言葉に表れる。

 我々は、コロナにより、本来の人の姿を取り戻しつつあると言えようか。

 
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我々は、何処からきて何処へ行くのか [社会]

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 「我々は、何処からきて何処へ行くのか」

 人類存在の最大のテーマであり、謎である。

 今から800年以上前に、方丈記で、鴨長明は、三メートル四方の栖(棲家)に、安住の地を見出し、方丈記を創作した。

 冒頭の、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。」は、日本文学に燦然と輝く名文である。

 次いで、「知らず、生まれ死ぬる人、何処より来りて、何方へか去る。」も、自然と生命の謎に迫る問いかけである。

 医師、関野吉晴氏は、この最大の謎に、足掛け10年、5万キロの旅、「グレートジャーニー」に挑んだ。「600万年前、東アフリカに誕生したとされる人類は、その後、揺籃の地を飛び出し、アジアや極北の地を経て、ついには南米大陸の最南端パタゴニアまで達した。この5万キロにも及ぶ人類拡散の旅を逆ルートで、行く先々の先住民と接しながら、私自身の脚力と腕力だけで、辿ろうと試みたのが、グレートジャーニーであった」

 先住民は、必要以上に大きな家は建てない、という。

 大きいことはいいことではない。浪費を抑制し、知足をわきまえない技術は、成長や再生産と向き合わないと、地球資源の大きな循環サイクルを破壊する。

 あの、「ダビンチコード」のダンブラウンも、「オリジン」で進化論とこの謎をテーマとした。

 良寛さんも、「我が生何処より来り、去って何処にか行く」、と謡った。

 資本主義の神話、成長戦略と拡大再生産は、今や、地球資源の乱獲と大量消費ににより、地球と自然破壊に直結している。

 1992年リオデジャネイロで行われた環境サミットでは、12歳の少女、セヴァン・スズキの伝説的演説と、キューバ革命の英雄、フィデル・カストロ議長の演説が万雷の拍手を受けたという。  

「世界の環境破壊の元凶は消費社会である。世界の人口のわずか20%の人間が、世界全体が生産する金属資源の3分の2とエネルギー資源の4分の3を消費している」

 大国の利己主義、覇権主義による石油やウランが熾烈な奪い合いの中にある。

 「ずっと以前にやっておくべきことを、明日やろうというのでは遅すぎる」と訴えたという。

 「我々は、何処からきて何処へ行くのか」、このまま行けば、もはや我々は、あの懐かしい緑豊かな地球へは、戻れないかもしれない。

 幸い、我々日本人は、「知足」という精神的美徳を持ち合わせている。あのスティーブ・ジョブズ氏も傾倒した禅の精神である。

 コロナ禍で、ステイホームが要請される中、せめて、あの「竜安寺」の石庭の佇まいを思い浮かべてほしい。心安らぐ佇まいの中に、我々が帰るべき懐かしい風景が見えるかもしれない。

 

 

 









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落ち葉の科学、そして草木染 [宇宙]

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 落ち葉が落ちるのも、リンゴが落ちるのも、ニュートン力学や、一般相対性原理の法則によります。

 徒然草では、「木の葉の落つるも、まず落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに絶えずして落つるなり」とあります。

 落葉樹の葉の再生は、葉があるうちに、その下から新芽が兆し膨らんでくるため、芽が伸び押し上げる力により、古い葉は落ちるという。

 「見えるものは、見えないものにつながっている」見えないものを見る洞察力や、感受性が必要なのだ。

 例えば、風は見えないけれど、頬に当たる風で感じ取ることが出きる。

 風を読む、良い風が吹く、等々、見えないものを感じ取る直観力のようなものが必要だ。


 沈丁花の春の香りが去って、桜の季節、草木染の桜染めの彩色に感動する。


 桜の花のピンク色は花が咲く前年の9月頃、木の樹皮の中で生成が始まるという。

 翌年、花が咲く直前のつぼみをつけた小枝を集め、窯で煮詰めて抽出液を作る。最初はオレンジ、ベージュ、ピンク色の混合液で、これを2~3ヶ月煮詰めてピンク色のエキスを抽出して行くという。


 桜の花の種は小鳥達がついばんだ種が大地に芽吹き、幹や樹皮に蓄えられたピンク色が花をピンクに染めるが、花を煮出してもピンク色の草木染は出来ないという。

 自然界の生成の仕組には驚嘆すべきものがある。

 草木染の超一級、第一人者、志村ふくみさんは、「一色一生」の中で言う。

 「本当のものは、見えるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう領域のものなのでしょう」

 志村ふくみさんの、仕事への取組み、向き合い方は、天性の洞察力に満ち溢れている。

 藍染のかめの内部の様相、染め上げの色合いの神秘には、目を見張るものがある。藍染は日本女性の高貴さに似合うという。



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虚空よく物を容る [社会]

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 虚空よく物を容る

 徒然草、第2百35段にある言葉である。「だからこそすべての物が中に入る」

 呼吸は、吐いて吸う、である。肺が空でないと、空気は吸えない。

 同様に、頭が空でないと新しい考えは入ってこない。雑念、邪念、妄想等々が一杯だと、それ以上想念の出入りはできない。心が常に無心でないと、新鮮な発想はできない。

 禅語に「もの思わざるは、仏の稽古なり」がある。無心であることが、徳を積むことになるという教えである。

 無心とは、一つのことに、一心不乱に取り組むことである。囲碁将棋で、直観的に手が見えるのは、この無心の境地である。この直観は、90%正解だという。研鑚、経験と才能の賜物だという。

 囲碁将棋の大勝負で、秒読みの中で、繰り出す一手が勝敗を分ける。指運の一手という。

 この勝利の女神の微笑みを手にするのが、米永棋聖のよく言っていた、常日頃の、謙虚さと笑いであると言う。

 年とともに、広角で物を見られなくなる。頭や心が、過去の古びた役立たずの想念で一杯だからである。

 頭も身体も、常にフレッシュに、空にしておかないと、錆びついてくる。新鮮な空気と考えで、細胞をリセットする必要がある。

 しなやかに、柔軟に、自在に対応できるよう、心身共に空の状態にあることが、まさに「虚空よく物を容る」であろうか。


 「茶碗とは何もない部分のことである」。老子の「道徳経」の中にある言葉だと聞く。

 何もないから御飯が入る、言いえて妙です。

 囲碁、将棋や、剣道に、無心の一手があります。一心不乱に、無心で出した一手に、会心の一手があります。

 この直観とひらめきの一手は、邪念、雑念がないまっさらな境地から生まれるものです。

 勝利の女神は、謙虚さと微笑みを持った人に味方します。米永邦夫棋聖は、この「機嫌のいい人に運気が寄ってくる」と言います。


 子供のころに習った、 ドイツの詩人、ツェーザル・フライシュレン の「くちびるに歌を持て」の詩の一節を思い出す。

 勇気を失うな。

 くちびるに歌を持て。

 心に太陽をて持て。

  
 日本の薩摩には400年続く郷中教育がある。

 負けるな。

 噓を言うな。

 弱いものをいじめるな。

 コロナに負けないように、日々、しなやかに、ときめきの心をもって過ごしたいものです。




  


     

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上善は水の如し [社会]

my challenger's log Ⅱ 2冊目


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 老子の道徳経8章に、「上善は水のごとし」とある。


 上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。


「水は方円の器に従う」ともいう。

 孔子の韓非子に「人君為る者は猶盂のごときなり。民は猶水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり」


 水は高いところから、低いところへ、変幻自在にかたちを変え流れる。万物を利して争わずという。

 中国の先人たちが説いた「道」の姿である。

 
 勝負事の鉄則は、流れの中に無心に身を置くことである。流れに逆らわず身を任せながら、チャンスをうかがう。或いは、ねばって逆境を跳ね返す。

 勝負において、相手をねじ伏せようとするのは、相当の力量を必要とする」。相撲など格闘技をよく見ていると、相手の力をうまく利用して勝っている。負けるほうは、ほとんど力みすぎで、自滅している。

 まさに無心の水の流れである。白鳳がよく言う、「勝つ相撲はとらない」である。

 人生、人の道は長い。争いで自滅することなきよう心がけたい。


 人間や生物の身体の中にも、水やリンパの流れがある。それが「自然治癒力」であるにつながる。

 人類生誕から数十億年にわたり脈々と流れ続けている「サーカディアンリズム」であるという。

 夜更かしはダメ、12時前には就寝しなさい、とよく言われる。

 人間の身体は、太陽が出ると起きて、日が沈むと寝て、休息をとるようできているようだ。

 このリズムが狂うと、悪しきウイルスを攻撃する「リンパ球」の流れとバランスが崩れ病気になると聞く。

「サーカディアンリズム」とは概日リズム、すなわち一日24時間の体内時計のことである。

 体内時計の狂いは、朝起きて朝日にあたることで、リセットされるという。人の体の60兆個の細胞が活性化されるとも言います。



『「タオ(道)とは、この宇宙という大自然を秩序あらしめ『「タオ=道」、その大自然の秩序を支え、持続している原理ともいうべきものである」 


老子の「無為自然」の思想の中核をなすのは、「上善は水の如し」という、タオに近い水のようなあり方だという。

「上善は水の如し、水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にくむ)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。

老子は、水はよく万物を潤して育てながら高きより低きに流れて先を競い争うことはしない。多くの人々が嫌う低湿の地にその身を置いて流れる。この水のありさまが、無限に道の在り方に近い、という』

『』内「タオ=道」の思想』講談社現代新書より引用

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