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朝晴れエッセー あのときの「ノート」 [社会]

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 より閲覧願います。

 朝晴れエッセー あのときの「ノート」

 「長男の私は、家への仕送りが必要だった。中学2年のときには、すでに新聞専売所に下宿していた。給料を送金するときの、母の安堵(あんど)する顔を思い浮かべることが、私の幸せだった」

 中略

 「後日、ノートの返却があった。私の「ノート」は新品のバインダーに綴じられて、3冊の真新しいノートが入れてあった。「整然としています」と採点記載があり、最後に「絶対に負けるな!」と力強い大きな文字が記されていた。その用紙は今も手元にある】

 3冊のノートはあまりにも貴重で使用できず、一緒に人生を歩んできた。大切な宝物となった。生涯忘れられぬ先生との出会いがあった」

 引用記事
 https://www.sankei.com/life/news/190511/lif1905110026-n1.html

 『朝晴れエッセー あのときの「ノート」』を読む時、自分がいかに苦労や努力を怠ってきたかが身に染みてわかる。

 生きぬくために、少年の自らを犠牲にして働く姿に感動する。会社経営をされている現在は、苦労と汗の結晶なのであろうか。

 家族を背負う使命の尊さでもある。環境、逆境をはねのける強い精神力に敬服する。

 野球の野村監督も、自らの環境が同様なものであったと聞く。

 父親は3才の時に戦死し、母親は、二度の大腸がんを克服し、女手一つで内職をしながら、子供たちを育てた。母は、仕事以外に楽しみを知らない女性であったと述懐する。

 母子家庭であった野村は、家計を助けるため、小学校時代から新聞配達や、農家の手伝い、アイスキャンディー売りなどのアルバイトををしていた。プロ野球のテスト生になって、初めてカレーライスを食べて、世の中にこんなうまいものがあるのかと驚いたという。

 南海に 入団し、初めての給料で1000円の仕送りをした。この時の母の言葉が忘れられないと言う。

「お前がこれからどれだけ活躍しても、初めて送ってもらった1000円は忘れられないよ。あれ以上の大金はないよ」

 朝晴れエッセーの、あのときの「ノート」の宝物と同様、かけがえのない言葉の宝物である。

  野村監督は言う。選手たちに、野球人の前に、社会人であれ、と諭す。人知れず練習に励め。一流選手は隙を見せる、そこがチャンスだ。

 野村監督の著書に「敵は我にあり」、がある。勝負の99%は、守備、攻撃、監督采配等々のエラーやミスによる自滅である。自分に負けないことだ。

 「絶対に負けるな」、ゆるぎなき信念と志が、自らを向上させる。周囲からの信用と人望が集まり、自らの立ち位置が確保


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