日韓併合は日本の侵略・収奪ではない [国際]
日韓併合は日本の侵略・収奪ではない…韓国や左翼言論人の捏造に反論、呉善花教授の講演で“目からうろこ”
引用記事全文
http://www.sankei.com/west/news/151120/wst1511200013-n1.html
「韓国は人間関係を国家関係にあてはめて甘えている」 呉善花教授「日本人は自信を持って」 岡山で講演
引用記事全文
http://www.sankei.com/west/news/151121/wst1511210086-n2.html
【石原慎太郎 日本よ、ふたたび】
引用記事全文
http://www.sankei.com/world/news/151116/wor1511160023-n1.html
韓国は、日本に対し、歴史認識を糺せ、慰安す問題の謝罪をしろ、と言う。
これは、韓国自体が、歴史を捏造、歪曲し、日帝36年の植民地支配を捻じ曲げて国民を教育した結果なのだ。
もはや、韓国は、反日が無ければ国家が立ち行かなくなる状況まで追い込まれている。反日国家100年の計は、国家1000年の不毛時代に向かっていると思われる。
呉善花氏を、売国奴と呼び、反日政策を正当化しようと躍起である。
石原慎太郎氏は、上記記事、「日本よふたたび」の中で、「従軍慰安婦の問題は歴史の名を借りた意趣晴らしの作り事でしかありはしない。それは歴史という冷厳な現実への政治的歪曲(わいきょく)であって真実への冒涜(ぼうとく)に他ならない。あの朴元大統領がもしも存命ならお互いの将来のために少し頭を冷やせといってくれるに違いないが」と言う。
鹿児島県美山に、薩摩焼の名窯、寿官陶苑がある。
武家門に、沈寿官 と表札がある。ここに四百年の歴史を持つ十四代沈寿官氏の登り窯がある。
司馬 遼太郎氏の「故郷忘じがたき候」は、今から約四百年前に、朝鮮から薩摩に連れてこられた陶工達の歴史物語である。
十四代 沈寿官氏は、息子の教育に、薩摩伝来の400年以上も続く、薩摩卿中教育の精神を教えた。
卑怯を嫌う美学として、市井に広く知れ渡る、「薩摩いろは歌」、負けるな、嘘を言うな、弱いものいじめをするな、の原典である。
卿中教育 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E4%B8%AD
沈氏に四百年の怨念はない。美山、沈寿官陶苑には、「日韓友好の塔」がある。
沈氏は定期的に韓国に渡り、二十一世紀を見据え、韓国の若き陶工達を指導する。
韓国の若者たちが日本の統治時代を言うならば、私は、私の400年を言わねばならない。大切なのは明日を見据えて共に歩むことだ、と諭す。
その時、彼らが口ずさんだ歌は、あの「黄色いシャツ」であった。
黄色いシャツ着た無口な男… オッチョンジー 忘れられない…大合唱となったという。
中曽根康弘前首相は、昭和58年に訪韓、全斗煥大統領の晩餐会で、この歌を韓国語で歌い喝采を浴びたという。
「大切なのは、 明日を見据えて共に歩むことだ」、400年の歴史を背負って呟く、14代、沈寿官氏の言葉は重い。この精神は、現在の若き15代 沈寿官氏に受け継がれた。
遠い日、沈寿官陶苑を訪れた後日、東京の大手デパートで薩摩焼の個典が開催された。会場にいらした沈寿官氏の、少し離れたところからの優しい眼差しと笑顔に出会った。忘れ得ぬ思い出である。
あの優しい眼差しと笑顔が、日韓の友好に戻ることを願う。
かって、沈寿官陶苑内にあった、「日韓友好の塔」は今でも健在なのであろうか。
沈寿官窯 ホームページ
http://www.chin-jukan.co.jp/
Youtube 黄色いシャツ 1961年 韓国のヒットソング
参考図書
何故かジャズ されどジャズ
「韓国併合」は植民地支配ではない。「植民地支配」は英語ではコロナイゼーション(Colonization)といい、虐殺・略奪・収奪する支配を意味し、原住民の生活向上という精神はなく絞り取るだけである。それに対し、「併合」「合邦」は現地の人々の生活向上を目的とし、アネクゼーション(annexation)と表現する。
台湾も韓国も植民地支配し、収奪・略奪したと糾弾する。ならばなぜ、台湾国民は日本に感謝しているのか、日本は韓国にも台湾同様多額の国家予算をつぎ込み、5千余の小学校や大学、治山治水、電気、病院、鉄道・道路・港湾を作り、「衛生観念を育成し世界一不潔な首都」(英国の女性旅行家・イザベラ・バード)を市内電車が走る近代的都市にし、韓国の近代的国家づくりに努力したのである。
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http://www.sankei.com/west/news/151120/wst1511200013-n1.html
「韓国は人間関係を国家関係にあてはめて甘えている」 呉善花教授「日本人は自信を持って」 岡山で講演
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http://www.sankei.com/west/news/151121/wst1511210086-n2.html
【石原慎太郎 日本よ、ふたたび】
私は最近列強の植民地支配について研究しているというイギリスの学者の『朝鮮が瞬間的に幸せになった時代』なる本を贈られて読んだが、それはまさに日本の朝鮮統合についての記述だった。断っておくが、日本の朝鮮統治は植民地支配ではなしに、あくまで彼らの議会が裁決し自ら望んで行われた合併であって、それによってこそ朝鮮の近代化は進みロシアへの属国化は免れたのだ。
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http://www.sankei.com/world/news/151116/wor1511160023-n1.html
韓国は、日本に対し、歴史認識を糺せ、慰安す問題の謝罪をしろ、と言う。
これは、韓国自体が、歴史を捏造、歪曲し、日帝36年の植民地支配を捻じ曲げて国民を教育した結果なのだ。
もはや、韓国は、反日が無ければ国家が立ち行かなくなる状況まで追い込まれている。反日国家100年の計は、国家1000年の不毛時代に向かっていると思われる。
呉善花氏を、売国奴と呼び、反日政策を正当化しようと躍起である。
石原慎太郎氏は、上記記事、「日本よふたたび」の中で、「従軍慰安婦の問題は歴史の名を借りた意趣晴らしの作り事でしかありはしない。それは歴史という冷厳な現実への政治的歪曲(わいきょく)であって真実への冒涜(ぼうとく)に他ならない。あの朴元大統領がもしも存命ならお互いの将来のために少し頭を冷やせといってくれるに違いないが」と言う。
鹿児島県美山に、薩摩焼の名窯、寿官陶苑がある。
武家門に、沈寿官 と表札がある。ここに四百年の歴史を持つ十四代沈寿官氏の登り窯がある。
司馬 遼太郎氏の「故郷忘じがたき候」は、今から約四百年前に、朝鮮から薩摩に連れてこられた陶工達の歴史物語である。
十四代 沈寿官氏は、息子の教育に、薩摩伝来の400年以上も続く、薩摩卿中教育の精神を教えた。
卑怯を嫌う美学として、市井に広く知れ渡る、「薩摩いろは歌」、負けるな、嘘を言うな、弱いものいじめをするな、の原典である。
卿中教育 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E4%B8%AD
沈氏に四百年の怨念はない。美山、沈寿官陶苑には、「日韓友好の塔」がある。
沈氏は定期的に韓国に渡り、二十一世紀を見据え、韓国の若き陶工達を指導する。
韓国の若者たちが日本の統治時代を言うならば、私は、私の400年を言わねばならない。大切なのは明日を見据えて共に歩むことだ、と諭す。
その時、彼らが口ずさんだ歌は、あの「黄色いシャツ」であった。
黄色いシャツ着た無口な男… オッチョンジー 忘れられない…大合唱となったという。
中曽根康弘前首相は、昭和58年に訪韓、全斗煥大統領の晩餐会で、この歌を韓国語で歌い喝采を浴びたという。
「大切なのは、 明日を見据えて共に歩むことだ」、400年の歴史を背負って呟く、14代、沈寿官氏の言葉は重い。この精神は、現在の若き15代 沈寿官氏に受け継がれた。
遠い日、沈寿官陶苑を訪れた後日、東京の大手デパートで薩摩焼の個典が開催された。会場にいらした沈寿官氏の、少し離れたところからの優しい眼差しと笑顔に出会った。忘れ得ぬ思い出である。
あの優しい眼差しと笑顔が、日韓の友好に戻ることを願う。
かって、沈寿官陶苑内にあった、「日韓友好の塔」は今でも健在なのであろうか。
沈寿官窯 ホームページ
http://www.chin-jukan.co.jp/
Youtube 黄色いシャツ 1961年 韓国のヒットソング
参考図書
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2015-11-25 16:38
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